さようなら、清志郎 [私Mの日常]
RCサクセションの忌野 清志郎が、亡くなった
清志郎は、私にとって長年の"アイドル"だった。
◇
RCサクセションを初めて見たのは、 中学生3年生の時だった。
目黒の「杉野講堂」というところで、フォークコンサートがあって、
どういういきさつか、私は一人で見に行った。
コンサートは、あまり面白くなかったけれど、
RCサクセションというバンドをひと目で気に入ってしまった。
バンドの生意気な感じも、私の心にぐっときたし、
「僕の好きな先生」も良かった。
なにより、清志郎が、すごくキュートで、
ティーンエイジャーの私のハートは、すっかり清志郎の虜。
◇
デビューアルバム「初期のRCサクセション」を買った。
LPレコード・アルバム - "初期のRCサクセション"
清志郎を追いかけて、
小さなライブハウス渋谷の「じぁんじぁん」に足しげく、通った。
「じぁんじぁん」では、当時、"RCサクセションの夕べ"の前座が、
アンドレ・カンドレ(=井上 陽水)だったり、
RCが、古井戸(仲井戸麗市が後にRC入り)の前座だったりした。
◇
このころには、私はちょっとした、グルーピーで、
演奏が終わっても、清志郎に会いたい一心で、
いつまでも、客席でウロウロしてた。
(そんなこと、ある訳ないのに…。ティーンとしては、それが精いっぱい。)
◇
RCのマネージャーが、いつの間にか、話しかけてくれるようになった。
「だめだよ、あんまり遅くまでいちゃあ。」とか…
「今度、○○○で公開ライブするよ。」とか。
◇
このマネージャーは、何を思ったか、私に、
清志郎の国立の自宅の電話番号を教えてくれた。
(この方は、もしかすると、後に急死されたマネージャーの
ヒッピーと呼ばれる人だったのかもしれない。)
◇
私は、清志郎に電話をした。
お母さんがでてきて「あ~ら~ごめんなさいね、でかけてるのよ。」とか。
「あ、まり子さん?」 などと、
(きっと、彼女でしょう。「まりこ」という美しい歌もある)
人違いをしたり。
なんだか、気さくそうなひとだった。
◇
電話は、清志郎につながる。
◇
「君は、どこに住んでるの?」
「ブルジョワだな」
無口な清志郎が、もっと無口な私に、話しかけてくれる。
話すことが無い時は、清志郎は、電話口で、ギターのフレーズを弾いたり、
キーボードを弾きながら、ポツリポツリとしゃべる。
◇
それは、美しい音を聞きながら、私は受話器を握り締めた。
「カトリック・ミッションスクールの女子高校生!?、ふんっ、ブルジョワの娘だな!」
「卒業したらどうするの?」 「大学行くの…」
「A学?優等生だな」
私は、美しいギターやキーボードの音と、清志郎のかすれた静かな声を聞いていた。
◇
「今度、会おうか」彼がそう言った。
◇
清志郎と井の頭公園でデートした。
すごく普通のデートだった。
手をつないで、池の周りを歩いた。
清志郎が、ぽつりぽつりと、しゃべる。
「君は、静かなひとだねー。」
(無口な清志郎に、『無口な人』と言われるほど、
あまりに子供だった私。高校3年生の卒業間近だった。)
◇
日が暮れてきて、月がでて、星が出て…
「もう、帰らなくちゃ…。」と、高校生の私。
◇
清志郎は、私を、自宅近くの駅まで送ってくれた。
振り返って、手を振ると、手を振り替えしてくれた。
すごく普通な23歳の清志郎。
◇
記憶は、私の中に生きている。
清志郎の話す声や、匂い…。
私は、忘れない。
◇
「朝までいっしょに、踊りたい」と書いた私。
◇
渡米中の私の実家に、電話があった。
「まことさん、いらっしゃいますか。」
「どちら様ですか?」
「栗原といいます。」
「娘は、今アメリカにおりますが…」
「そうですか…」
長い時間をかけて、清志郎にさようならを言っている。
「さようなら、清志郎、今でも大好きだよ」
--- おわり ---
おかげさまで 退院致しました<(_ _)>
ご挨拶が一度に出来なくて 遅くなりました><
こんなに早いとは 思わなかったよね
お元気だっただけに 凹むよね~~
ご冥福をお祈りしつつ・・・・頑張らないとね
by chunta (2009-05-04 23:09)
chuntaさん
ご退院、おめでとうございます!
マリーさん、息子さんたちも、ほっとされたことでしょう。
急がずゆっくり、復帰してくださいね。
by makoto (2009-05-05 09:57)
おはようございます。
清志郎さん、本当に残念でしたね。
もっと彼の歌を聴いていたいと願ったのですけどね。。
あの日、あたしもひさしぶりにたくさんRCの曲を聴きました。
by ゆめ乃 (2009-05-18 05:28)
ゆめ乃さんへ
niceとコメントありがとうございます。
お返事が遅くなってすみません。
清志郎が大好きで、もうライブを見られないと思うと、
胸が苦しくなってきます。
昔、買った、チャボのカメラマンの奥さん(大久保ヒサコさん)の撮った
清志郎の写真集を捜して、あちこち引っ掻き回していますが、
いまだに行方不明です… ToT
by makoto (2009-05-25 12:08)
こんばんは。
きょう、『僕らの音楽』というTVを見ていました。
清志郎さんの特集でした。
そしたら、ふとmakotoさんに会いたくなってやって・・・
こっそりやってきました^^
写真集は、見つかりましたか?
by ゆめ乃 (2009-06-20 00:21)
ゆめ乃さん、こんばんは。
私は、清志郎が好きでした。
誤解を恐れずに、告白すると、
グルーピーで、しかも、世間知らずの私は、
清志郎とデートすらしました。
遠い昔のことと、忘れかけた思い出でしたが、
亡くなられたことをきっかけに、
いけないことと、しりつつ、
UTubeで、若い頃の彼を何度も、何度も、見てしまいました。
それから、「彼に会いたい」、
しかも、「若い頃の彼に会いたい」という、
病的な気持ちに取り付かれていました。
また、君に恋してる、いままでよりも深く…
仕事をする私の頭の中で、
「多摩蘭坂」や「あふれる熱い涙」や「誇り高く生きよう」が、
来る日も来る日も、一日中、鳴り響いていました。
そんな風に、随分と長く、清志郎とのお別れをしてきました。
by makoto (2009-08-01 13:11)